内田です。

無益です。

心も体もぬくぬくに

ずっと良い関係を築いていきたいと思っている相手には全てを許すことしかできない。嫌われたくないから、大抵のことには「いいよ」と言う。なんなら後ろから刺されても許すんじゃないかと思う。

常に相手を優先し優しくあろうと必死になるあまり、後になってから、あれは冗談を言うべきところだったのかと気づくこともしばしばある。冗談に真面目に返されるほど興がさめるものはないのではなかろうか。

私の母親はよく冗談が通じないことがあるが、その血を私も引いているんだとこんなところで実感してしまった。

おしゃれは足元から🧦

色々と立て込んでいて、やらなきゃいけないことは数えたらキリがないくらいあります。コツコツ終わらせることがどうにも無理なので、複数のタスクの期限が重なるとてんやわんやです。

毎度毎度懲りもせず後回しにするお陰で、時間的にはもっと前からできたはずなのになんでやらなかったんだと後悔する羽目になっていたんですが、最近は、今やりたくないことは時間ある時だったら尚更やりたくないよなあと思うようになりました。

かといってその時間をやりたいことをする時間に充てるわけではないんです。大抵寝てます。これは自分でも理由がわかりません。なんで?


結局、期限に追われないとできない性分はもう変えられないし、ここ数週間くらいストレスフルだし、自分くらいは自分を許してあげるようにしないとね。


「嫌味っぽい言い方しかしない人って本人も周りも嫌な気持ちになるだけなのに変えようとしないのなんでだろう〜」と私の心の中のテツandトモがギター弾いて踊ってるんですが、もしかしたらそういう人も、変えられない自分を許してあげてるのかな。

誰かが被害を被っている時点でそれはもうその人だけの問題ではないのでもしそうだとしたら地獄だなと思いました。

観たもの

なぜ今、という感じですが先日「ミッドサマー」という映画を観ました。

大学生グループがスウェーデンのある村に訪れて、そこで行われていた夏至のお祭りを見る、という話なんですが、終始不穏でした。日本のドラマだった「トリック」からコメディ要素と謎解き(?)を排除したような印象。解ける謎なんてなかった。

その村には風習があって、独自の儀式がいくつも行われます。訳がわからないようなものばかりなんですが、宗教とかもそんなもんかと思いました。よく考えたら木の塊叩きながら念仏唱えるのも訳わかんねえよな。古くからあって多くの人に知られているから当たり前のこととして受容しているわけだけど、その村ではその風習が宗教のように定着しているだけのことです。

そうは言っても、村人たちがそれを盲信しているというところに恐怖を感じるわけです。おばけはまだ、恨みがあって出てくるのが分かるから、視覚的な怖さはあるけど心理的な怖さはあまり無いんじゃないかと思います。この映画に関しては、この風習ができた経緯もわからないし、みんなが一様に同じ方向を向いていることが怖かった。そしてなにより主人公が徐々に同じ群れに馴染んでいくのも怖かったです。洗脳とかもこんな感じなんだろうか。


もし観るなら家族とは観ない方が良いと思います。

私からは以上です。

ふりだしにもどる

数年前の出来事がずっと彼女を悩ませていた。望みははじめから無かったのだろうが、期待してしまったのだ。
彼女にはそれきり自信がなくなってしまった。目を輝かせて楽しそうに話すあの姿を思い返すだけで彼女の腹の中には鉛が流し込まれるようで、吐き出してしまいたいけれど、重く蓄積するだけだった。
確かに幸せなこともあったはずだ。涙が出るほど笑った記憶があるが、後になって心に充満するのは不安になった出来事ばかりであった。折に触れて思い出させ、いとも簡単に踏み荒らしていくその様を黙って眺めるしか無かった。彼女は一体何を思っているのだろう。
記憶の一番初めに刻まれてるのは間違いなく彼女であり、その溝は深く深く抉り込んでいる。それを屈託なく話しているのを聞いていると、彼女のこれまで少しずつ築き上げてきた自信はまた瓦解し、一瞬にして砂埃となってどこかに飛んでいってしまった。